忍者ブログ
12345678

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

期日 2007年5月29日(火)13:30から
会場 岩手真宗会館
講師 石川一雄さん、石川早智子さん
講題 「狭山事件に学ぶ」
聴講無料!聴講自由!

主催 真宗大谷派 仙台教区 部落差別に学ぶ協議会
PR

◇真宗会館のコーラスグループは、昨年の20周年を機会に〈コール・ヴューハ〉を正式名称とし、大谷派合唱連盟に加入しましたが、今回、14人のメンバーのうち8人が、3月30日から4月1日まで、真宗本廟研修道場で開催された「親鸞聖人御誕生音楽法要・音楽法要研修会」に参加しました。

◇メンバーの一人、池野ウタ子さんから、「お昼はおにぎり、入浴の時間も制限されるほどで、特訓に次ぐ特訓でした。4月1日午後1時からの音楽法要では、楽譜を見ないで歌うことが出来ました。」と喜びのご報告…。 

◇両堂を修復中の真宗本廟は、明08年末で御影堂の修復が竣工。その後、11年に厳修される御遠忌の準備にかかり、阿弥陀堂とご影堂門の修復はご法要の後に取り掛かることになるそうです。

◇現在、親鸞聖人の御真影は阿弥陀堂に御動座され、御影堂は工事中です。御影堂には巨大は素屋根(写真)が架けられ、新しい瓦が載せられています。


親鸞の誕生祝い 歌声響く

      東本願寺で音楽法要

 宗祖親鸞の生誕を祝う真宗大谷派の春の法要が1日、京都市下京区の本山・東本願寺で始まった。初日には、親鸞の誕生を祝う音楽法要が阿弥陀(あみだ)堂で営まれ、僧侶らの歌声が堂内に響いた。

 大谷暢顕門首が「かぎりなく宗祖聖人の恩徳をいただいている身のよろこびを、御同朋(どうぼう)の皆さまとともに、高らかに歌い上げる」と表百(ひょうびゃく)を読み上げた後、同派合唱連盟の140人が、堂内に詰め掛けた2200人を前に歌声を披露。親鸞が残した和讃(わさん)を混声四部合唱で歌い上げた。

 音楽法要は、親鸞の700回忌があった1961年に作曲され、毎年春の法要で歌われている。春の法要は4日まで。2日には、同派が第二次世界大戦で戦争に協力した歴史への反省から、毎年開催している全戦没者追弔法会やシンポジウムがある。

     (京都新聞電子版4月1日、写真も)

◇真宗写経塾は、毎月第2・第4の月曜日、

 午前10時から正午まで開かれています。

◇勤行の後、館長より「三帖和讃」の講話があり、その後、それぞれの写経課題に取り組んでいます。最近では、親鸞聖人の直筆を手本にした「臨書」へ挑戦しています。

◇初めて筆を持つという人でも大丈夫。ご参加下さい。

◇真宗写経塾の取り組みが、一冊の本にまとめられ、東京の四季社から出版されました。手本は昨年7回忌をおくった佐藤重夫さんの筆跡が、そのまま載せられました。◇値段が少々高めです。会館に注文すればいくらか安くなります。ご相談下さい。

◎これからの真宗写経教室実践講座

 真宗の寺院で多くの人が集まる場、写経を通して真宗の教えにふれることのできる教室づくりと運営のノウハウを実践的に紹介します。親鸞聖人も写経から始められたのです。

監修:平松令三 佐藤芙蓉 日野詢城 丸田善明
編集:真宗写経教室実践講座編纂委員会
定価:12,600円(税込)

日時:5月12日13:30から
講題:「東アジアにおける平和を考える-宗教者の立場から-」
講師:深沢秀男先生(岩手大学名誉教授)
会場:岩手真宗会館

聴講無料!!

 当館会員、岩手大学名誉教授・竹本貞之先生は、去る三月二十三日午後二時四五分、享年九五をもって逝去なさいました。ついては、長年にわたりご交誼を結ばれた方々や、学窓や句会等で講筵に連なった方々と「偲ぶ会」を開催いたしたく存じます。

 発起人  宇佐美公生 (岩手哲学会)
         高橋  秋郊  (岩手ホトトギス会)
         丸田  善明  (岩手真宗会館)

一、日時 五月十三日(日)午後一時三〇分~四時
二、会場 岩手真宗会館 (盛岡市東仙北二丁目二ー四五)
三、会費 1,000円 (晩年の御句を色紙に制作し偲ぶ会の記念品とするほか、茶菓代に充てます)


■竹本貞之 略歴
 岩手大学教養学部教授、生活学園短大教授、盛岡大教授を歴任。盛岡大学の創設に尽力し、岩手哲学会長も務めた。

■告別式での表白

 一人旅
   一人の雪として払ふ

 一昨年、私の住職する寺に道場が建ち、その名告りとして白飛庵をお許し頂いて、ご揮毫をたまわりましたが、そのおり、併せて一人旅の句を半折に認めていただきました。知遇を忝のうして半世紀、この度、釋白飛・竹本貞之先生のお涅槃に接し、この一人旅の句を思うことしきりです。

 白き飛ぶ─横殴りに降りしきる岩手の雪に貞之の〈之〉を重ね、故郷岡山をいつも思慕しながら岩手の人として九十六年の御生涯を全うされて、今静かに横たわっていらっしゃいます。

 昨年末、転倒されて岩手医大の救急センターに入院され、一度退院の後再入院のまま盛岡病院で最期を迎えます頃、静かに眠り続ける先生に声を掛けながら、私は、一九六九年の夏、「思考について」と題された岩手哲学会での公開講演を思いだしておりました。

 その講演で先生は、〈生きる〉とは、生きていることを〈生きる〉ことであり、それは現に生きていることの肯定であり生きる決意だと仰いました。生きていることを生きるということは、死を含まない。端的に生きることを生きるのだとも…。

 雄渾な筆致で認められた最晩年の句が、今尊前に掲げられています。そこには、

 長き夜の
 まだ生きている
   目を覚ます

 とあります。ふと目覚める。あぁ生きているのだという感懐でしょうか。生きていることの自覚─死するいのちを生きるのではないという、透徹した自覚者の、いのちへの眼差し─吾々は、単独者としてのみ生きているのではない。生は〈おのれ一個の生ではない。相結び、通い合うわれら〉なのだという〈いのち〉への信頼─。それは、近代の精神が陥ったニヒリズムを超える慧眼だと思われました。

 今、ご葬儀の場に立ちて、穏やかな眼差しを感じています。

 「一人旅」と題されたエッセイの結びには、

 われわれは自分で発見したようにしか人から教われないものだとヤスパースはいう。わたくしは、少しでも何かが見えてくるたびに、これこそが師の教えでもあろうかと、そのつど、思いを新たにするのである。

 とあります。この私に取りましても、これから先、同じように、〈師の教え〉を思う日が続きましょう。そしてその度に、鮮やかに先生の眼差しを感ずるであろうと思っております。

 告別式にあたり、参集の方々と共に
 尊敬のまことを披瀝して
 お別れの言葉と致します。

           二〇〇七年三月二十七日
                      遺弟   釋  善 明

    

 

  top  
忍者ブログ [PR]