忍者ブログ
12345678

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

東本願寺が毎月発行している『真宗』という機関誌があります。その中に「今月のお寺」というコーナーがありますが、昨年の会館設立20周年の頃にインタビューを受け掲載されました。



---------------------------------------------------

「今月のお寺」



岩手真宗会館

岩手県盛岡市に、大谷派直属教会である岩手真宗会館(主管者・陵木仙台教務所長)があります。この施設は1890(明治23)年、盛岡市六日町に「盛岡説教所」として始まったものですが、1987(昭和62)年に、現在地の盛岡市東仙北二丁目に移転され、岩手真宗会館として再出発したという経緯を持ちます。

 この会館で、4月14,15日の両日にわたり、「若い世代と社会に<浄土真宗>を手渡そう」をテーマに開設20周年の記念事業が行われました。14日の夜、市内の盛岡劇場で、劇団・希望舞台による水上勉作「釈迦内柩唄」(しゃかないひつぎうた)が上演され、500人の観客を感動の渦に浸らせました。また、翌15日には会館で、仙台教務所長である陵木主管者の導師によって慶讃音楽法要を勤修。功労者表彰があり、午後からは、丸田館長によって「歴史に責任を負う仏道へ」と題する記念講演が行われました。

 真宗会館の最大の特徴は、会館設立の主旨に賛同した法人や個人を会員として運営されているということで、この運営形態は盛岡説教所以来のことだといいます。

 会館では、館長の丸田善明氏(宗通寺住職)やスタッフの方々によって様々な教化事業が企画運営されていますが、課題発見・大衆参加をテーマに、音楽法要で勤修される報恩講、伊東慧明師による大経講座(年1回の講座と、講義録による毎月の輪読学習会)、真宗写経塾、仏教讃歌の集い、市民仏教セミナー、面接や電話での信仰相談など、多岐にわたって活動を展開。現代の宗教問題に応える目的で03年に設立された「現代宗教研究所」(菊池和男所長)では、研究員による研究活動のほか、「〈靖国〉という宗教」などのテーマで、公開シンポジウムを行っています。

 こうした取り組みについて、丸田館長は、「活動を展開して来ることができたのは、会員、岩手県内各寺の住職・門徒会員、それに、宗派を超えた教育界・経済界など、多くの方々が支えて下さったたまものであり、また、このような出会いを成り立たせたのは、ただ〈親鸞〉という名であったと思う」と語っています。

 「お寺という場は、聞法の道場である」という言葉があります。私は岩手真宗会館を知って、開設以来保ち続けられてきてる大谷派という枠を超えた運営の形に驚きを感じました。お寺とは私にとっていったい何だろうか?と、改めて考えさせられ、同時に〈門徒〉の意味についても、問いを投げかけられているように思いました。
PR
昨日は『大無量寿経』学習会が行われました。参加人数は11人でした。

午前中の話題「あなたは何を着て死んでいきますか?」

年をとり、自分の人生の終わりが見えてきた今。
葬式になぜ着物を着せるのか?草履を履かせるのか?なぜお金を持たせるのか?
つまりそれって仏教なの??

何気なく葬儀屋さんの言葉に従ってるけど、お葬式というのはその人のお荘厳なのである。
ぞうり履かせたりお金を持たせたりすることは、その人が生きてきた人生、精神に、もしかしたら反するのではないか。
 仏壇・仏具、葬儀・法事などの冠婚葬祭、仏塔の建立という営みは、仏教にとってきわめて重要な意味を持つものです。今日、生活様式の急速な変化によって、その持たれ方や〈かたち〉はずいぶん変わって来ているとはいうものの、意味するものに変わりはありません。これらの仕事に携わっておられる方々が、つねに誠心誠意ご精進ご努力を重ねているご様子は敬意をもって見聞きしているところです。

 

 ところで、昨今の社会状況をみますと、仏事が〈障り〉や〈祟り〉に結びついていく傾向にあります。〈仏事〉のもつ意味が不明瞭になっているからではないかと思われます。そこで、岩手真宗会館では、関連事業を経営する方々と共に〈仏事〉について語り合う会の結成を願い立ちました。

 

 当館は、研修の場やご相談の機会などで、助言・提言をさせて頂くことによって仏教精神の回復を期し、また、事業経営者の方々には、営業分野の垣根を越えた相互交流の場を通して、営業活動に新しい広がりが出来るのではないかと思い、この企画を提案するしだいです。

 

 岩手真宗会館は、開設当初より、江戸時代以来の寺檀制度に支えられた日本仏教から脱皮して、市民社会の要請に応えうる仏教の〈かたち〉を尋ねてきておりますが、仏教文化を根底で担って下さっている方々と共に、仏教文化の刷新とさらなる興隆へ向けて、新たな理解と信頼を形作るものとなるようにと願っております。
2月9日は東本願寺の阿弥陀堂にみんなで集まろう!!
チラシ

2007年は、「承元の法難」から八百年。
「念仏申す」ことで、なぜ親鸞は流罪となったのか。
首がとび、流罪となる、そんな「念仏」があったのだ。
今、アジアやフェミニズムからの
批判に応えることを通じて、
流罪となった親鸞の思想を明らかにしたい。







死罪・流罪 法難800年ナムナム大集会 首がとぶような念仏とは

   日 時:2007年2月9日(金)  

   テーマ:浄土と国家とおんなとおとこ

   正午より阿弥陀堂(東本願寺)でお参り
   ナムナムトーク&ライブ(一般2000円学生1000円)
 開場=午後1時~ 開演=午後1時30分
 会場=大谷婦人会館・大谷ホール
 内容 その1 三國連太郎さん
     その2 田中美津さん
     その3 タテタカコさん ライブ
     その4 トークセッション 
       パネリスト 三國連太郎さん 田中美津さん
                タテタカコさん 玉光順正さん
         コーディネーター 戸次公正さん
なかなか更新出来ずにいました。すみません。

最近は京都での研修、報恩講、中国南京での研修、またまた京都での研修と、パソコンに向かう時間がありませんでした。

中国へは12月12日から16日まで行ってきました。目的は13日に行われた南京大虐殺犠牲者の追悼法会に参加するためです。大使館のHPに少し記事が載ってるのでどうぞ・・・。http://www.china-embassy.or.jp/jpn/xwdt/t283491.htm

会場にはたくさんの人が集まってました。そして僕ら日本人僧は黒衣に五条という衣体だったので、もの凄く注目を浴びました。珍しいということもあるのでしょうが、それだけではないのでしょう。「おまえはどんな存在なんだ?」という問いかけが聞こえてきたような気がします。まさに“日本人としての業”を感じざるを得ません。

こんな感想を持ったのは、ある中国人青年が僕らに怒りをぶつけてきたからだと思います。このことは後ほど・・・。



  top  
忍者ブログ [PR]